新しい一年が始まりました。今年のお正月は8年ぶりに実家で迎えることになりましたが、例年のお正月はテレビも見ず、殆どの時間を読書や「その年(一年間)をどうやっていくのか」を考えることに費やしていました。しかし、今年は少し違った形のお正月となりました。ある人を治療し、治療の合間に珍しくテレビにかじりついていました。そのテレビとは箱根駅伝のことです。
今までの箱根駅伝といえば、私は3分以上見たことがない番組でした。私のおふくろは箱根駅伝の超ベテラン視聴者。そのおふくろの解説を耳にしながら、私はどんどん箱根駅伝に惹かれていきました。高校野球、高校サッカー、高校バレー、プロ野球、Jリーグ、陸上競技大会、世界ボクシング大会など、テレビ局の視聴率に振り回され、エンターテイメント化していくことにより、人間臭さや生き様(ドラマ)が埋没していっております。しかし、私が見た箱根駅伝だけは唯一、人間臭さや昭和のにおい、生き様(ドラマ)を垣間見ることができました。
見ているうちになぜか、昔よく読んでいた本(文豪)、三島由紀夫や川端康成、太宰治、小林秀雄などが、走馬灯のようによみがえり、特に三島由紀夫が発した「終戦の詔勅を聞いたアカデミズムの若い学者たちは、これから自分たちの時代が来るんだ、新しい知的再建の時代が始まるんだと、いわば誇張していえば欣喜雀躍という様子でした。戦後の20年は一見太平無事な時代が続いているように見えますが、これは日本の工業化のおかげであり、精神的には何ら知的再建に値するものはなかった。自分のためにだけ生きて自分のためだけに死ぬほど人間は強くない。人間は何かのため、誰かのために死ぬ、それが大義というもの」という言葉を思い出しました。
三島先生は天皇、憲法(自衛隊)、憂国、空虚な極東の一角、精神文化の崩壊・・・など、現在の日本を予見していたかのうような数々の遺言を残しています。精神文化の崩壊は特に顕著であり、利権、既得権、様々な欲望により、有形無形問わず、精神文化が形骸化しています。言論の自由を前面に主張しておきながら、国民が一番知りたい真実を書けない新聞社、当たり障りのない放映しかできないテレビ局など、メディアが残した罪は精神文化の成長・再建の頓挫にも大きく影響を与えています。
少し話が逸脱しましたが、これ以上、箱根駅伝をエンターテイメント化してほしくないですね。今以上にエンターテイメント化を図っていくと逆に視聴率は下がっていくでしょう。今の国民が欲しているものは人間臭さが残され、等身大の真実が生む「人間ドラマ」です。このままではテレビという媒体は廃れていきます。新聞も同様です。現に今の若者や中年層はテレビや雑誌を見ないという傾向がどんどん高まっています(電車の中で雑誌や新聞などを読んでいる人は殆どいません)視聴率を上げるのは非常に簡単なことなのに、テレビ局などのメディアが精神文化の重要性に気付いていないのですから、視聴率アップに関しては非常に難しい状況です。というよりは、精神文化を崩壊させたのがメディア自身ですから、中国経済同様、もう手遅れなのかもしれませんね(スマーツメディカルグループ CEO兼総院長)
【スタッフの一言】
Smarphin国分寺店:受付担当M・M
明けましておめでとうございます。
みなさん、お正月はどうでしたか?
私はお正月を何年かぶりに田舎(実家)で過ごしました。
すごくゆっくりした時間を両親と過ごせたので、とても良いお正月となりました。
元日の初詣には主人の両親と一緒に行きましましたが、息子の勇将が2回も大吉(おみくじ)を引きました。
そんな中、主人がおみくじの中に入っていた打ち出の小槌を神社で紛失し、ちょっとした騒ぎに・・・
みんなで洋服の中から地面に至るまで探しましたが、とうとう出てきませんでした。
しかし、そこからいつもの強運を主人が発揮。
帰京した東京で行方不明だった小槌が服の中からポロッと出てきたそうで、無事に主人の元に生還。
主人曰く「今年は特に強運なんだよ。だから、いずれ出てくると言っただろ。今年は良い年にしようとか、良い年にしたいではない。ダイナミック、ドラマティックな一年、良い年になるんだ」という力強い言葉に圧倒されたお正月でもありました。
相変わらずの前向きさは全開のようで、とにかく「無理だ」とか「できない」とか言う人ではありませんから、今年も何かやってくれるはずですよ。
今思うと、主人が紛失したものは、あとで必ず出てくるんですよね。
何なんでしょうねえ。本当に不思議としか言いようがありません(笑)